6/18 7:58 大阪、揺れる

数十秒が変えてしまったもの

 
揺れた。阪神淡路以来のこの感覚。

 
火を止めた。
半分動けない母の部屋に飛んで行った。
さっきつけたテレビはそのままだ。
停電はしていない。
出かける直前まで寝込みを決め込んでいる娘が駆け下りてきた。

 
揺れはじきにおさまったが、
皆がまだ興奮状態。
「地震ではじめて恐怖を感じたわ」といった娘は
阪神淡路のときまだ6か月の赤ん坊で、
あのときはまだ強者よろしく、ぐっすり寝ていた。

 
23年前のあの日、
停電から復活し、テレビで
あとからあとから、
悲惨な状況を目の当たりにすることになったのだ。
今回も・・・と不安な気持ちになる。

 
阪神淡路が教えてくれたこと、
その後20数年をかけて備えてきたことがあったから、
あれほどまでにひどい状況ではなさそうだ。

 
けれども、やっぱり失われた命があり、
崩壊したものがある。
これから数日、あるいは数か月、
大阪は物質的にも精神的にも復帰までの努力をすることになるのだろう。

 
家族のこと

 
固定電話は通じなくなっているので
こういう時のSNSはほんとに助かる。
よい時代になったもんじゃ・・・・(老人)
米子から、東京から、広島から、「大丈夫か」の連絡がくる。
うん、大丈夫。ありがとう。

 
娘が結婚して住んでいるのが、震源地近くの茨木市。
「全部ものおちた」といってこんな画像を。

 
地震後

 
いや、いつもと変わんないよね。
・・って、今回ばかりは茶化さないでおこう。
家具が倒れていないのは、やっぱり断層から少しずれていた幸運かもしれない。
夫婦そろって出勤直前。
いっしょにいてよかった。こんなとき、離れていると不安と心配はどれほど大きいか。
ふたりとも、今日一日は、自宅待機が許されるとか。

 
これ幸いに、いまはビールとタコ焼きというオチを聞けたのは、
全てのサイクルが幸運だったと
感謝するしかあるまい。


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