怒れるアンパンマンはよいこのヒーローじゃなかった~詩とメルヘン’74、11月号
バリ島の資料を出そうと、古い棚を探していたら、
懐かしい本が2冊。
詩とメルヘン。ご存知ですか?
高校生の頃、「これ、読んでみてください。返さなくていいです」
と、クラスの女子から渡された。
すごく 美人だった。引け目を感じるほどに。
なんで?と聞いたら
「きっとあなたにならこの本の良さがわかってもらえると思うから」ということだった。
(ほんとうに こういうセリフのような美しい言葉で言ったのだ!)
でも、わかんなかった。
メルヘンな性格じゃなかったし
ニューシネマやロックや演劇にどっぷりだったし、
どちらかというと現実的なほうで、何事も知りたがりでよく勉強はした。
遊びは上手じゃなかった。どうすれば他人とはしゃげるのか、わからなかった。
もらった本をめくってみたが、詩は嘘くさく感じたし、
当時、見る目がないというか、申し訳なかったというしかないけれど
本を主宰するやなせたかしさんのイラストも苦手だった。
反発した。
でもなにか、壊してはいけないもののようで、ずっと・・・
これは わたしとしてはとても珍しいことだけれど、
見ることはなくとも、大切に保存してきた。
ファンタジックな作品の中に、違和感をおぼえるほどの「キャラクター」。
それだけ、特定できる性格があり、ストーリーをもっていた。
アンパンマンだった。
印象に残った。
そのアンパンマンの中の餡子は怒りで煮えたぎっていた
アンパンマンはジャムおじさんを「お父さん」と呼ぶ。
そして「肥えすぎた鳩」のように「みっともなく」飛ぶのだ。
「アンパンはたたかってはいけない」というジャムおじさんの制止をふりきってゆく。
敵は偽善、欺瞞、権力の横暴を象徴するもののようだ・・・。
やなせ氏の言葉のすべてに怒りがこもり、
アンパンマンはそれを行動にして表しているように見えた。
これはちいさなこども向けじゃないのだ。
この本の時点で「怪傑・アンパンマン」は11作目であり、
なぜ「ひもじい人を助けるために生まれた」アンパンがうごきだしたのか、
初回が見てみたい。とても興味深い。
自分にこどもができて、いちばん安心してみせられる番組であり
安心して渡せるキャラクターである アンパンマン。
少し大きくなった時、
「アンパンマンは子ども用じゃなかったみたいだよ」と話すと
「へえ」とさほど興味もなさそうに応える。
すでにアンパンマンを楽しむ年齢は過ぎている。
アンパンマンが子どもたちのヒーローである期間は短い。
けれど、詩とメルヘンに表わされていた怒りのアンパンマンは
おとなの記憶の片隅を確実に占め続けているのだ。