フェイスブックの差別禁止ポリシー

何気ないことに「差別」が潜んでいたのかも

 
フェイスブックビジネスからメール。
「差別禁止ポリシーに同意してください」と。

 
もとより差別禁止に異を唱えるべくもなく、
はいはい、と同意ボタンをおしたのですが。

 
先日アップしたブレスレットには「メンズサイズ、レディースサイズ」と表現した。
あれ?それって必要だったのかな?と、ふと、考えた。

 
わたしのがっつりした腕は(まえは細かったのにぃ・・・)メンズでちょうどいいし、
華奢な男性ならレディースで十分。
長さ表示だけでいいんだ、きっと。
デザインだって、メンズ仕様だの、レディース仕様だの、区別しなくてもよいのだろう。

 
「母の日に」という言葉をいれるのは、
どちらかと言えばシックな色合いやデザインのアイテムにつけていて、
それはあきらかに年齢差別、思い込み、ってあるかもしれない。
わたしならパールのひと粒ネックレスをもらうより、
ジャラっとした木の実のいっぱいついたネックレスのほうがうれしいかも。

 
あるものをありのまま、どんな人が好むのか、見る人たちの想像力に任せよう。
作り手から「提案」をするなら
ボヘミアンなスタイルに、とか、フォーマルな場所にもOK!とか、
それくらいなんだろうか・・・。

 
「差別」には無知だったのです

 
部落の存在

 
わたしの両親は、世の差別についてまったく意識させませんでした。
これはいい意味でありがたく思っています。
ただ、一度、小学生のころ、白黒映画の「橋のない川」を観に連れて行ってもらいましたが、
なぜ、あの子たちは嫌な思いをさせられているのか、
まったくわからず、母に問うても問うても、臭いはわからず、理由も理解できず
泣いた。

 
「在日」さんの存在

 
関西に来て、アルバイト先に「変わった名前」の子たちがいた。
「え~面白い名前だね!」って、
それは韓国名だったのだけど、
知らなかった。
無知とそしられてもよい。
そして、聞けば、かなりつらい思いをしていたことをようやくに知り、
また朝鮮籍だと国外に出れば戻ってこられないという仕組みも知った。
こころが沈んだ。

 
「不思議な子」たちの存在

 
また子供の頃の話、
クラスに何人かは奇妙な(子供の目に)行動をする子や
極端に足の遅い子(わたしも遅かったけど)
いつも何かしら臭う子がいて
なんとなく勉強も遅れるし、グループに入れられるのを嫌がられていた。
一方でそういう扱いがいやで、率先して仲間に入れたり
不具合があれば(失禁とか)積極的にカバーするグループもいました。
こどもたち同士でバランスをとろうとするカタチがありました。
いまならば、自閉症だとか学習障害だとか、発達障害だとか、
理解がすすんでいますが、当時は「不思議な子」たちだったのです。

 
「女らしさ」の存在

 
女性差別は「ウーマンリブ」といわれる大きなうねりの時代を経て、
ようやく女性がふつうに、同等に扱われている。
たまに娘にいうのです。
きみたちの「普通」は声をあげてきた人たちの努力の上にあるって。
あのころ、温厚だった父でさえ「ぶさいくの遠吠え」と言っていたのを忘れません。
かなりはげしい運動でしたからね。
舌打ちしていた男性も多かったように記憶しています。

 
どれもこれもいまや考えずにはいられない、無意識でいてはいけない事柄。
国家間についてはとくに、腹立たしいことも多い昨今。
意識がなければ差別もないのに、と
無知を正当化したくもなるときもあります。

 
けれど、こと、ジェンダーや障碍については
無意識の差別より脱却する努力があってこそ、
今があるのです。

 
人と人として

 
個人同士の付き合いならば「いいひと」なのに
国やグループごとになると軋轢が生まれる。
むずかしいです。
人と人としてならば
きっと きっと 信じられると
ぬるいようですが、
そう、思っていたのです。

 
ハート


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